つい先日のことですが、6年前からトレーニング指導をしている越智晴雄選手が、総合格闘技団体「DEEP」の第二代ストロー級王者となりました。非常に喜ばしい限りです。
もっとも、現在私は札幌で彼は東京と距離があるため、ここ1年間は「直接ではなく電話やラインでのトレーニング指導」という形を取っています。
今回の記事は、見事王者に輝いた越智晴雄選手のさらなる躍進を願い、アスリートとして優れている点を僭越ながら書き綴りたいと思います(了承済み)。
論理的に考えることができる
アスリートにトレーニング指導をすると、今までのトレーニング(フォーム・重量・レップ数など)を間接的に否定してしまうような場合があります。
例えば、可動域をかなり制限したスクワットを自重で何百回も行っているアスリートに対しては「より大きな可動域を取る」や「バーベルを担ぎ重量を扱う」というところからスタートします。なぜなら、そうした方がまず間違いなく良いと考察できるデータが多々あるためです。
もっとも、この際「今までのトレーニングはダメです。私の言うことが正しいです」などと調子付いた発言は当然ですがしません。
しかし、トレーニング経験が少なかったり、トレーニングにこれといったポリシーのないアスリートは問題ないのですが「学生時代からずっとこのトレーニングを続けてきた」や「お世話になった&大好きな競技コーチにこのトレーニングを教わった」といった背景があるアスリートにとっては「自分のトレーニングにダメ出しされた」や「競技コーチを否定された」といった、マイナスの気分になってしまうこともあります。
そのため、言葉選び・言うタイミングには極力慎重になるよう心がけているのですが、上手くいかない時もやはりあるものです。
しかし、彼にはそれが全くありません。彼は、学生時代からトレーニングに触れているのですが「どういったトレーニングを行うべきか?」を論理的に考えることができます。「正しいものは正しい、間違っているものは間違っている」と、好き嫌いではなく正誤でしっかり区切れます。
言うなれば、変なプライドや意地がないのです。「今よりもさらに強くなり、より高いレベルで試合がしたい」という大元の部分はがっちりあるのですが、それを達成するにはどうすれば良いかを、冷静に判断することができます。
長い目を持っている
適切なトレーニングの組み立て・実行は、身体能力を向上させます。しかし、身体能力の向上がすぐさま競技力に結びつくとは限りません。
例えばですが、ここにバレーボールの選手Aがいたとしましょう。Aは、アウトラインギリギリにスパイクを打つことができる選手です。
そんなAがトレーニングを行い「腕の振り力」を向上させたとします。球速は速まるでしょうが、今まで通りの打ち方では、まず間違いなくアウトラインを超えてしまいます。
次は「腕の振り力」ではなく「ジャンプ力」を向上させたとします。打点は高まるでしょうが、これも今まで通りの打ち方では、まず間違いなくアウトラインを超えてしまいます。
このように、いくら身体能力を向上させたからといって、それがすぐさま競技力に結びつくとは限らないのです。
つまり、
ではなく、
という段階があるということです。
もっとも、身体能力の向上がすぐさま競技力に結びついたと実感できる場合もあるかもしれません。しかし、基本的にはそれ相応の期間を必要とします。むしろ、短い期間では「競技力が低下した」と感じる場合もあるでしょう。
このような理由から、トレーニングを早い段階(2〜3ヶ月)でやめてしまうアスリートが時たま見られます。しかし、彼はトレーニングをやめることはありません。
なぜなら「身体能力の向上→獲得した身体能力をうまく操る技術を習得→競技力の向上」という段階があることを、十分に理解しているからです。「昨日と今日」や「先週と今週」ではなく「上半期と下半期」「去年と今年」の競技力を比べるというように、より大きな範囲で捉える長い目を持っているのです。
さらに「身体能力が向上すれば、今まで不可能だった技術練習もこなすことができる。それが、戦術の幅を広げることにつながる」というメリットにも目を向けています。
最後に
彼については、おそらくあと何万字も書くことができるのですが、今回の記事はここらで完結とさせていただきます。
越智晴雄選手、本当におめでとうございます。私も、トレーニング指導者として邁進する所存です。